36歳で人生のゴールを迎えて思う|自由に生きていなくても、それは既に自由

夢が叶いました

なんというか人生の最高地点?最幸ステージ?に到達したような氣がしています。

そう言いますのも僕がずっと望んできたことの全てが叶いまして、
たぶんこの先も新たに何かを望むたびに、それらは叶っていくんだろうなぁと思うからです。

(何の根拠もないんだけど、これまでの経験から そう思ったのと、願望実現のコツ(脳の機能)を理解できたつもりだから)

また、「やらなければ いけないこと」もなくなり、「楽しそう」とか「簡単そう」というのが行動するしないの判断基準になったので、苦労とか大変な思いをすることも、肉体的にキツイこともなくなりました。
(農業を営んでるけど、体に負担がかかる力仕事は基本やらない)

最近は「多くの人が求めていること」は何なのかを探って、それを提供できるような仕事をつくれたらいいな〜なんてことを考えなら のんびり生きておりまする。

てことで、今回は!

近況報告と、望みを叶える僕なりのコツを紹介してみたいと思います〜

脳ミソさんのシステムさえ理解してしまえば、人生なんて楽勝なのです*

僕が望んでいたもの

まず僕が何を望んでいて、何が実現したのか、
細かく言えば いろいろとあるのですが、大きなくくりで言えばですね。。。

☆自由

☆平和な暮らし・不安のない生活

とても抽象的な言葉なんですけど、でもこれを望んでいる人は けっこういらっしゃるのではないでしょうか〜

(抽象的であるからこそ その基準は人それぞれなので、あくまで僕にとっての自由と平和という意味です)

人生の選択権を得た

自由と平和な暮らしの両方が実現したことに加えて もう1つ、僕が人生の最幸ステージに到達したと思う理由があるのですが、それは。。。

僕が望んだものが自然に現れたりとか、与えてもらえたりすることが多くなったから

です。

(後ほど詳しく説明いたしますが、これはスピリチュアルではなく脳科学のお話です)

願望や夢というものは、自ら行動して叶えたり手に入れたりするのが一般的ですよね。

たとえばハワイ旅行の夢を叶えるには、一生懸命働いて貯金して、飛行機を予約して、自らハワイに飛んでいくわけじゃないですか。

ハワイフラダンスショーの写真

そうではなくて、人間関係や仕事、お金でも何でも、自分が何かを必要とした時に、それが相手の方から自分のもとにやってくるんですよね〜

以前からも そういう感覚はあったんですけど、今はそれが より濃くて、自ら叶えるのと、自然に叶うので半々くらいな氣がしています。

そのおかげでですね、僕は「選択」をできるようになったんですよね☆★

イメージで言えば。。。

抽選でハワイ旅行が当たったのだけど日程が合わないから、君、代わりに行くかい?
こういう仕事(と大金)を用意できるんだけど、君、やってみるかい?

そういった話が舞い込んでくることが多くなり、それに対する Yes or No の選択をする余裕ができたんです*

だから苦労とか大変な思いも ほとんどしなくなりました。
(苦労しない道を「選択」できるようになったから)

山梨県笛吹川フルーツ公園(水遊び場)の写真

・ぷち補足

ただし僕が叶えることができるのは、「僕個人に反映されること」に限られているようです。

たとえば戦争をなくしたいと望んでも なくすことはできません★

・・・今は、まだね。

それから「競い合い」に関することで、他人が僕の望みを叶えてくれることもありません。

たとえばマラソンで1位になるなんてのは、他人の協力に加えて、自分の努力が必要不可欠だからです。

願いを叶えるコツ

僕の状況説明は一時休憩にして、こういう状況まで行き着くことができたのは何故か、僕なりの考察と そのシェアをしていきますね*

(しつこくて申し訳ないですが、今から話すことはスピリチュアルやオカルト等ではなく、科学的なお話です)

今まで僕が心がけてきたことで、今回の話に関連がありそうなのは

☆自分は幸せになっていい存在なのだと認めること

☆自分の願望や夢の実現にフォーカスする(行動する)こと

☆他人が幸せを感じられるようにお手伝いすること

超ザックリ言えば、こんな感じです。

ステップ1:自分の幸せにフォーカスする

自分の幸せを受け入れる(認める)ことと、願望実現にフォーカスすることは似ているところもあるのですが、
2つを混ぜつつ、すこし違う言い方をすると「自分は夢を叶えて幸せになっていい存在なのだと、自分自身で認めてあげる、許してあげる」って感じです。

これはとても重要なことでして、、、

これができている人は、身のまわりに落ちている願望実現の種みたいなもの( ≒ チャンス)を見つけやすくなっているし、もしも見つけることができたなら素直に受け取り、育てていくこともできます☆

逆にできていない人は、(自分の夢のはずなのに無関心であるがために)チャンスに氣づきにくかったり、たとえ見つけることができても「私にはそれはできない、そんな資格はない」と自らチャンスを逃してしまいます★

ん〜わかりやすい例を出すならば。。。

「〇〇になる」とか「〇〇な暮らしをする」という夢を、自分自身でハッキリ決めてフォーカスできている人は、それに関する情報を認識できるようになります。

ある物事にフォーカスできていない人には、認識できない(たとえ目の前にあっても見ることも聞くこともできない)情報というものが存在するんですよね。

それから「自分自身が夢を叶えて幸せになっていい存在である」と認めることができている人は、発見できた情報やチャンスをもとに、次のステップへと進むことができます☆
(夢の種を育てる工程に進むことができる)

でも認めることができていないと、私がそれを実現していいわけがない( ≒ 私には叶えられない)と「潜在的に」信じているため、実際に行動を起こすことはありません★

僕ら人間の脳は、自分の願望(理想)と現実を何がなんでも一致させようとするので、
「私なんかが夢を叶えて幸せになっていいはずがない」と信じている( = 望んでいる)人は、「夢の実現に近づくための行動をしない言い訳」を、自分自信が夢を諦めるまで探し続けてしまうんですよね。

お金がない、時間がない、才能がない、家族が許さない and more…

そうして また1つ不幸せな望みを叶えてしまうわけです。

自由なお店ヒマら屋の看板(こんにちはネコちゃん)の写真

・ぷち補足

僕にとっての願望実現の種が まわりからやってくることが、以前よりも多くなったという表現をしましたが、
ただ僕が そう感じているだけであって、実際にはその情報量やチャンスの数が増えたわけではないのだと思います。

これは僕の心理的盲点(スコトーマ)が開放されて、認識できる情報が増えただけのことなのかな、と。

目を凝らして注意深く観察していればですね、以前からも、もっとたくさんの物事を手に入れることは可能だっただろうし、夢の実現も もっと早くできたんじゃないかな〜と思うわけでございます*

まぁそうならなかったのは「僕自信がそれを望んでいなかったから」てことになるんだけどね★

スコトーマについて解説してみました↓
運命よりも脳科学|なぜ強く望むほど夢が叶いやすくなるのか

ステップ2:他人の幸せを願う

もう1つのポイントは、他人が幸せを感じることができるよう、そのお手伝いをすることです。

簡単に言えば、誰かのためになることをするってこと*

だって、自分の願望の多くを叶えてくれるのは他人なわけですから「こちら側も、それ相応のことを他人にしてあげる必要がある」そう考えるのが ごく自然ですよね〜

僕の行いで どれくらいの成果を出せていたのかは わかりませんが、僕は僕なりに、できる範囲で そういったことをしてきたつもりですし、今後も続けていきます。

それに ここだけの話、個人の利益を追求するよりも、他人に尽くした方が(社会全体の底上げに協力した方が)、自分自身が得られる富も大きいですし〜

・・・あ、日本社会の秘密をついつい暴露してしまった。

秘密の詳細はコチラ↓
お金を払う人の心理|知らない人が損をし続ける社会の仕組み

南米ボリビアのエケコ人形の写真

ただし1つ注意しておきたいのが、エゴの押しつけになってしまわないようにすることです。

自分では良かれと思ってしていることでも、相手が望んでいることでなければ、それは時に迷惑になってしまうことだってあるからです。

だから あくまで「他人が望んでくれているから、それを手伝ってあげる」のだということを忘れないようにしましょう*

これ、意外と難しいんですよね〜
やっちゃったなって思うことは、僕も よくござりまする★

行動を起こすかどうかの目安基準になる、四方良し↓
「四方良し」を考えれば簡単に幸せになれる。うしろめたい事はやめましょ〜

中間まとめ

僕が望んだことをポンポン叶えられるようになったのは

自分の幸せのために生きることを決意し、夢を叶えることにフォーカスして(実際に行動もして)、
そして氣持ちに余裕ができた時だけでも、できる範囲でまわりの人に優しくしてきたから

だと、自分では思っています☆

人に優しくするよう心がけてきたのは、もちろん人に優しくしたかったからですし、自由になるために こういったことをしてきたわけじゃないんですけど、
自由になった今思い返してみれば、結果的に それが要因になっていたと思うんです。

(1番初期は「ビジネスで成功したい」という下心のもと、他人に優しくしようとしてたけどね)

また、このスタンスを崩さない限りは、この先も新たに何かを望むたびに、それらは叶っていくんだろうなぁとも思っています*

裏まとめ

他人(僕)が何を欲しがっているのかを当てるくらいなら、たぶん日常の発言や行動に注目すれば察知することはできると思うのだけど、さらに僕が それを手に入れるための手助けまでしてくれる皆さんの寛大なお心に、本当に感謝しています*

・・・でも、これは つまり「それだけ僕が助けを必要としているように見えている」てことでもあるかもしれません。

たしかに僕は、僕自信が強い人間だとは思わないですし〜

ん? じゃあ本当は「まわりに助けを求めること」こそが、願望実現の方法だということになるのかな??

ややこしくなってきちゃったけど、、、
とりあえず まわりの皆さんに感謝をして、この大きすぎる恩を返せるよう精一杯努力いたします☆★

補足1:夢は もう、叶ってる

過去を振り返って「すでに叶えることができた自分の望み」を探してみることは、自分が そういうことができる(望みを叶える魔法?が使える)人間だと信じるための要素にすることができます。

たぶん氣づいていないだけで、多くの人が自分の望みを叶えた結果の今(現実)を生きていると思うんですよね。

え?この貧しい生活が!?
え?顔も見たくない上司に毎日怒鳴られる生活が!?

みたいなツッコミも聞こえてきそうですが、意外にも その状況こそが自分の願望だったりするんです。

山梨市大井俣窪八幡神社の門(朝日)の写真

たとえば、お金持ちになることができた人達が、その方法を本やブログ、YouTubeでシェアしてくれているにもかかわらず、「それをマネしない( ≒ それをやりたくない)」という自分の望みを叶えていたり、、、

たとえば、同じような業務内容で、今よりも好条件な仕事が他にあっても「転職に失敗するのは怖いから、今の職場でガマンするしかない( ≒ リスクを負うくらいなら、今の職場に残りたい)」という自分の望みを叶えていたりするわけです。

(「未知という名のリスクに踏み入れる」よりも「既知の安定に浸る安心感」を望むのは、人間として ごく自然な選択です)

もう1つ例を付け加えると、、、
名門大学に入学するために勉強してきたのなら「たとえ今年がラストチャンスで、不合格になる可能性があっても勉強したい!挑戦したい!」という望みが まず叶っていて、さらに結果が不合格でも望みは叶ったことになります★☆

ちなみに、もちろん僕も苦しい思いをしたことはありますが、冷静に思い返してみれば、その状況を創っていたのは自分自身だった〜なんてことは よくあります。

おにぎりさん、夜の街で進出(お外で絶望)の写真

だから「そういうネガティブな要素もポジティブな要素も、全部含めて僕は、僕の望んだことのほぼ全てを叶えることができていた」ということを知ったわけなんですけども。。。

ここが超大事なポイントで

過去の出来事がすべて自分の望み通りであるのなら、
現在から この先の未来にかけて「自分が幸せを感じられるような願望」を抱いていれば、その願望が現実化していくので、幸せな暮らしが続いていくということになります*

(逆に「人生は甘くない」などと思い込んでいる( ≒ 望んでいる)のなら、それが叶って、苦しさを感じられそうな道を「無意識で」選択して進んでいってしまう)

ちなみに、こういうメカニズム?からくり?で人生が自分自身によって操られているみたいな説を知ってから、
それを自分なりに理解して、ある程度コントロール?できるようになるまで僕は7年かかりました。

潜在意識の恐るべき真実↓
これでも信じません?人生は自分の思った通りにしかなってませんよ〜

補足2:何かが欠けていても、完結する

今の僕は自分のやりたいように のんびり生きつつも、億万長者になるための仕込みを進めています。

その一方で現在の状況はと言えば、年間所得ゼロ円(笑)、どうやって生きてんの?って感じですよね(笑)

(お金さまの扱いは得意なので、物理的には けっこう豊かな生活をしてます)

それから、農業という仕事の性質上、仕事をしなくてもよい時間がメッチャクチャ長いのに(半年ヒマ(笑))、田舎の一人暮らしで孤独をメッチャクチャ感じています。

僕のヒマすぎる営農方法を解説してみました↓
働きたくない人のための農業のはじめかた|マネーリテラシー編

樹になっているぶどう(巨峰)の写真

じゃあ、どんな望みも叶えられるんなら、さっさと大金を手に入れて、結婚相手も出現させて、家族と幸せに暮らす人生を実現させればいいじゃん!って感じですよね。

ごもっともですし、これから言うことは絶対に言い訳と捉えられると思うんですけど、
僕には こんな風に暮らしたい、こんな風に人生を歩んでいきたいというプラン?みたいのがあって、それからハズレたくないんだと思います。

それに もしも自分が持っていないものを手に入れたいと望んでしまうと、「叶っていない望み」が生まれてしまいますし。

でも逆に自分が すでに持っているものや、今の環境だけを望んでいれば、望みはすべて叶った状態になるんですよね〜
すでに すべてが手に入ってるんだから、当たり前。

ちょっと違う言い方をすると、、、

今が最も幸せなのだと、自分で自分を納得させた瞬間に、何かを望む必要がなくなり、人生は完結します☆

(これは頭の中の思考の話なので、自分が置かれている環境や状況(外界の情報)は ほとんど関係ありません)



ここにきて、話の矛盾をつくる(笑)

すべてを捨て去ると、すべてが手に入る理由↓
努力する事がいかに無駄かを徹底的に解説します|人生は無意味

珈琲屋OB神戸店のパフェの写真

・ぷち補足

何かが欠けているおかげで氣づくことができる大切なこともあります*

たとえば僕の望みの全てが叶っていることに氣づけたのは、田舎暮らしの孤独感を味わえたおかげですし★

余談1:なんでも叶うことの裏側

この状態になってから氣がついた、僕自身の変化があるのですが、それは「やる氣がなくなってきていること」です。

以前は生きていくための必死さとか、焦りが原動力となって僕を突き動かしていた部分もあったのですが、
自由になれたがために「やらなければ いけないこと」が ほとんどなくなり、やるかやらないかは全て自分次第になったんです。

滋賀県の特産信楽焼のたぬき(大きなお酒)の写真

また、やりたかったことが叶っていくというのは、
逆に言えば、やりがいのあることが1つずつ失くなっていくということでもあるんですよね★

だから「そういう意味での、日々の充実感」を得るには、自分で自分を奮い立たせるしかないのかな〜なんて思ったり。

でも別に、やる氣がなくなったことに対してネガティブな感情を抱いているわけじゃなくて、ただ そう感じるようになりましたよ〜という感想です〜

ちなみに今は、ブレイクダンスとブログと社会貢献が楽しいので、そこに氣持ちを集中させています☆

富士山頂でブレイクダンス(マックスフリーズ)の写真

何に やる氣を注ぐのか、その選択方法がシンプルになったってことかな。

余談2:自由とは

さいごに、僕がここまで辿り着くまでの過程を振り返っていて氣づいたことを〜

今から9年前の2015年に、正規雇用で務めていた福祉法人を退社させていただき、僕は自由な人生を歩みたいという思いを抱きつつ旅をはじめました。

旅をしている最中も含めた9年の間に、自由を手に入れるべく いろんなことに挑戦し、ようやくそれが叶ったわけですが、
僕が自由になれたのは「自由を手に入れたいと願い、そのために行動することを決意できたから」だと、最初は思ったんですけども・・・

「自由になる決意をするか しないか」それを選択する自由が9年前の時点で既にあったわけだから、結局僕は はじめから自由に生きていた(その時々に望んでいることも常に叶い続けていた)ということになってしまいました。

「多くの人が自分の望みを叶えた結果の今(現実)を生きている」というのは、やっぱり正しいのではなかろうか。

余談3:幸せは青天井

実は数年前にも、人生の最高地点に辿り着いた!と感じたことがあったのですが、さらに上のステージ(今の環境)があったみたいです。

ということは

今の僕は、今いる場所がゴールだと思っているけれど、さらに上のステージに上がった!という感覚を味わう時が、そのうち また来るのでしょう。。☆

不幸な人が、不幸な理由↓
幸福度が低くなる原因|約束の地で暮らす人の思考は何が違うのか

まとめ

2015年、当時27歳の僕は自由に憧れてサラリーマンを辞めた。

それから9年かけて いろいろなことに取り組んだ末、ようやく不安のない平和な暮らしと、自分なりの自由を手に入れることができた。

また、望んだこともポンポン叶うようになってきたので、苦労することも ほとんどなくなった。

そうなることができたのは。。。

☆自分は幸せになっていい存在なのだと認めること

☆自分の願望や夢の実現にフォーカスする(行動する)こと

☆他人が幸せを感じられるようにお手伝いすること

これらを心がけてきたおかげなのではないかと、自分では思っている。

(もしかしたら「まわりの人達からは、僕が助けを求めているように見えていること」も、願望が実現する要因の1つかもしれない)

でもまぁブッチャケ・・・

こんなことを心がけなくなって願望は叶うし(笑)、なんなら氣づいていないだけで、多くの人が自分の望みを叶えた結果の今を生きているのだけど。

(「苦しい現実を自分が望むはずがない」という顕在意識を本心だと思い込んでいるから、
「苦しい思いをしたい」という潜在意識の願望に従って、自らネガティブな行動を起こしていることに氣がつけない)

過去の出来事がすべて自分の望み通りであるのなら、
現在から この先の未来にかけて「自分が幸せを感じられるような願望」を抱いていれば、その願望が現実化していくので、幸せな暮らしが続いていくということでもある。

それから僕は、以前のように「やらなければ いけないこと」が ほとんどなくなり、生きていくための必死さとか、焦りのような原動力もなくなったため、いろいろとやる氣が減退してきているように感じる。

とりあえず今は、氣持ちとエネルギーを注ぐか やめておくかの判断基準を、それが「楽しいと思えるか」に設定している。

そして この記事を執筆するにあたっての、最大の氣づきは

「自由になる決意をするか しないか」それを選択する自由が9年前の時点で既にあったわけだから、結局僕は はじめから自由に生きていたことになる(その時々に望んでいることも常に叶い続けていたことになる)

てこと。

つまり「自由にならないことを選択すること」これもまた、自分が自由であるからこそ選択できるのである。。。

実に複雑★

はい、以上〜
人生のゴールに たどり着いて僕が思ったこと、でした!

大切なことなので、もう1度言います〜

まわりの環境や自分が置かれている状況とは関係なしに、
今が最も幸せなのだと、自分で自分を納得させた瞬間に、何かを望む必要がなくなり、人生は完結します。

最後までお読みくださり ありがとうございました(^^)
今日が皆さんにとって よき日となりますように*