なぜ人間が、誰1人として他人を幸せにすることができないのか理由を説明します

愛する人を幸せにしたい!

・・・氣持ちは とてもよくわかりますけど、残念ですが それ、100%叶いません。

この世の原理原則

他人を幸せにできない理由(他人の思想や心を変えることができない理由)を、結論から先に言っちゃいます。

1:心も含めて「人間は1人1人、常に独立した存在である」

2:人間は、本人が幸せを感じようとした時以外に、幸せを感じることはできない

これら2つの自然の摂理が、他人の干渉から本人を完璧に守ってしまうからです。

人はそれぞれ、「人生とは こういうものである」と本人が思い込んだ、まさに そのままの人生を送っているんですよね。
(幸福度においても、本人が思ったままの状態になり、それ以上にも それ以下にもならない)

「その本人が、自分は幸せだなぁと思うこと」これ以外に人が幸せになる方法なんてありません。

だから

誰かを幸せにしてあげたいという氣持ちを抱き、そのために いくらアクションを起こしたところで、それが叶うことはありえないんです。

そもそも

他人を幸せにする、そんな神にも等しい力なんてない

少なくとも僕は、僕自身について そう思っています。

てことで、今回は!

他人の幸せのために、自分にできることについて〜

人の幸せを願っても

本題に入る前に、ちょいと僕自身に関するお話をいたします。

僕の人生の最終目標は「みんながみんな心地よく豊かに暮らす世界で、自分も暮らすこと」です。

だから、どうすれば皆の氣持ちを満たしてあげられるのかな、幸せにしてあげられるのかな、そんなようなことを考えながら、自分にできることに日々取り組んでいます。

けれど、その過程の中で「人が幸せを感じる、心の仕組み」も勉強してみたら、僕の手で他人を幸せにするのなんて、そもそも不可能であることが わかってきたんです。

人を幸せにすることの意味

「誰かのために、自分ができることをしてあげたい」この言葉自体は、そんな悪いような感じはしないんですけども

「自分の手で、人を幸せにしたい」

この言葉の場合は、ちがう角度から見てみると、他人をコントロールしたいという自分自身の欲求とか、私的な思いの押し付けみたいなものが隠れていたりもするらしいんですよね。

ん〜改めて考えてみれば、たしかに「(自分の手で)人を幸せにしようとすること」これは「人の心をコントロールしようとすること」に含まれる氣がしますね。

・・・いや、氣がするっていうか、確実かな。

・ぷち補足

僕が忘れがちになってしまうのは

「自分が、相手のためにしてあげたいこと」と「相手が望んでいること・相手が幸せだと感じること」は違う

ということ。

これ、本当に大切です。

他人を変えること

さて今回の話を進める上で、とても重要な観念?を1つ紹介しておきます。

どうやら僕ら人間同士・人間世界では「他人をコントロールしたり、他人を変えることはできない」ってなことが、大原則になっているようなんです。

ちがう言い方をすると、洗脳でもしない限り「他人の思想をコントロールしたり、心を変えることはできない」です。

(その理由は記事後半でも説明しますが、興味のある方には心理学などの専門書もオススメいたします)

そうなってくると

人生最大の目標を達成するためのステップとして、僕がこれまで本氣で取り組んできたこと(自分の手でみんなを幸せにする準備的な?)も、ただの空回り以外のなんでもなくなってきます。

おにぎりさん、夜の街で進出(お外で絶望)の写真

「他人をコントロールできないこと」は、以前から意識してきたつもりだったんですけどね、
人を幸せにしようとすることまでもが それに含まれるなんて、今まで1度も考えたことがありませんでした。

(故に けっこう衝撃を受けた)

自分にできる唯一のこと

じゃあ、他人の幸せのために自分にできることってなんなんだろう?
てのが、僕にとってはスゴく重要なことになってきます。

(僕の人生においては、もうそれくらいしか やることがないと思っているから)

他人のためにできることについて、今回は他の人からいただいた言葉をそのまま引用します。

他人のためにできること、それは ただただ「見守ること」なんだそうです。

いや〜驚くほどにシンプルで、そして本当に何もできないものなんですね。

まぁそもそも神さまでも なんでもない、僕のような普通の人間が他人を幸せにしようとするなんざ、なんとも おこがましい話でございましたわ。

鳥取県の観光名所・水木しげるロードでダラけるねずみ男の写真

それから

「自分自身のことを幸せにしてあげること」

これが「幸せ」に関して、僕ら人間に唯一できることでもあります。

あれやこれやと僕自身も色々やってきましたが、結局みんな、一周まわってたどり着くのは そこなんですね。

自分の手で両親を幸せにすることはできない。
自分の手で我が子を幸せにすることはできない。
自分の手で愛する人を幸せにすることはできない。

悲しいけれど、これが この世の真実です。

自分の手で幸せにしてあげることができるのは、ほかの誰でもなく自分自身のみ。

そして

自分自身で自分のことを幸せにしてあげられた時、
それが結果的に、自分以外の人達のことも幸せにしていきます。

カサカサチャスキー食堂(お客さんたちと)の写真

うーん、深い話の表面だけをすくってきただけでは、理解しにくい部分が けっこうありそうですね。。。

・ぷち余談

これは「人の手助けをしてはいけない」とか「人を救おうとしてはいけない」という話ではございません。

あと僕個人の解釈でいくと「他人が幸せを感じるためのお手伝い」くらいはできると思っています。

・ぷちぷち補足

なぜ自分を幸せにすることが、他人の幸せに繋がるのか。

これは逆を考えてみるとわかりやすいのですが、いつも機嫌が良くて笑顔の多い人と一緒にいるのって、心地よいですよね(^^)

ゲストハウスの外国人旅人友達の写真

じゃあ いつもイライラしながらグチをこぼしていたり、落ち込んでばかりいる人はどうでしょうか。。。

それから、もしもそういった状態に自分がなったとしたら、他人が喜ぶような行いもしにくくなってしまいますよね、自分は苦しくて余裕がないわけですし。

てことで

自分を幸せにすることに全力を尽くしていれば、それは他人を幸せな氣分にすることにも繋がっていきますよ〜って話でした☆

(あくまで他人が幸せを感じる「キッカケ」をつくれるだけであって、自分の行いが他人を幸せにするわけじゃありません)

補足:人生は干渉不可能

では、ここからは記事冒頭で軽く述べた「他人の思想や、心を変えることができない理由」について、より詳しく説明していきます。

まずは おさらい。。。

1:心も含めて「人間は1人1人、常に独立した存在である」

2:人間は、本人が幸せを感じようとした時以外に、幸せを感じることはできない

これら2つの自然の摂理が、他人の干渉(僕の活動)から 本人を完璧に守ってしまうので、故に他人を幸せにすることはできません。

異なる世界

個人的な意見ですが。。。

「世界とは こういうものであると、本人が信じたままの世界で 僕ら人間は生きている」と、僕は思っています。

お金の価値だろうが手に入れ方だろうが、人生の意味だろうが、なんだってね。

「あなたが そう思うのなら、そうである」

これが この世の、人生の すべてだと思うんですよね。

鏡張りのウユニ塩湖を歩く友達の写真

また、人が それぞれ信じていることには違いがあるので、つまり僕ら1人1人は同じ世界に生きているようで、まったく別の世界で生きていることになります。

さらに言うと、それらに正誤はなくて、中には完全に矛盾し合う意見・事象もあるでしょうが、すべて同時に成り立つとも思っています。

いやいや真実は1つしかないのに、矛盾した答えが同時に成り立つわけがないでしょ!
っていうツッコミもありそうですが、それが成り立つ理由は。。。

くり返しになりますが「人は、自分の頭の中に「自分自身で創りあげた世界」の中で生きていて、決して他人と同じ世界では生きていない」ってのが僕の考えだからです。

間違いなのに、正しい

たとえば

Aさんの世界では答えが「10」になる問題があったとして、
それと同じ問題の答えが、Bさんの世界では「15」になる

といったようなことが起こっても、僕はあまり不思議には思いません。

その理由を、わかりやすく言うなら

ある物事を正面から見るか、右から見るか、上から見るか、はたまた内側から見るのか、
すべて見え方が違うはずのに、そのどれもが正しいことになるからです。

1つの問に対して、複数の答え(真実)が同時に存在することはできるんです。

山梨県のブドウ棚畑(甲州)の写真

だから各人の意見(真実)を主張し合う討論が、いつまでたっても決着がつかないのは当然。

だって それらの全部が正解だし、真実だもの。

まぁ世界を「数字」で見るのなら、答えが1つにしかならない事象もあるんですけどね。
(参考・FACTFULNESS/著者:ハンス・ロスリング)

・・・何の話をしているのかサッパリですよね(笑)

軽くまとめ

要は僕らは「自分の信じたことが、そのまま反映された世界で生きている」とか「自分の思った通り、自分の望んだ通りの人生を送っている」ということです〜

なんでも自由自在であるが故に それを書き換えたり、くつがえすことができるのも本人以外にいないんです。

僕ら人間は、常に「1人1人が完全に独立した状態」であって、それは「心」についても当てはまります。

くわしく解説した記事もあるので興味がありましたら↓
思考と視界の関係|なぜ知識を増やすだけで生活が豊かになるのか

グランドキャニオンの写真

で、

そのことを説明して、いったい僕が何を言いたかったのかといえば

やっぱり人は、他人を幸せにすることはできないのかもな

てこと。

CさんはCさんの望んだ通りの世界でしか生きることができないし、Cさんの思った通りの人生しか送ることができないわけなので、いくら僕が、Cさんのために何かをしてあげたところで。。。

Cさんが自ら思想を変えたり、思い込みの世界を創り直そうとしない限り、
Cさんの心が幸せで満ちたり、Cさんの生きる世界が平穏になっていくことは ありえないんですよね、現実の世界が どれだけ平和になろうとも。

人間は、本人が幸せを感じようとした時以外に、幸せを感じることはできないんです。

つまり

僕の手で 他人を幸せにすることは、絶対にできない

という結論に、悲しくも辿り着いてしまう。。。

余談:氣持ちの出どころ

他人を幸せにしたい氣持ちは、2パターンで沸き起こるのではないかと僕の経験上思います。

1:自分の心が幸せで満ち溢れた場合

2:自分の心が満たされていない場合

経験したことがない人でも1番の状況は、なんとなく想像できるかもしれません。

幸せで胸が いっぱいになると、その溢れてこぼれ落ちそうになる幸せを、誰かに わけてあげたくなるものなんですよね。

僕の場合、下の記事で紹介したような状態を経験して以降、
人に幸せをわけたいと思う状況が増えました↓
生きる目的までも変えてしまう承認欲求について実体験を話します

2番については、自分が満たされていないのに他人を幸せにしようなんて思わなくない?と、疑問に思う人がいるかもしれませんね。

これは「他人から感謝してもらうこと」で、心を満たそうする心理が働いた状態です。

カサカサでお花いけてます(カーネーション)の写真

自分で自分を認めることができていないと、こういった「人の役に立っている実感」のようなもので心を埋めようとしたりもするんですよね。

一言で表すならば「見返りの心」かな。

ちなみに僕は、両方です(笑)

その時の自分のコンディションによりまする。

まとめ

誰かを幸せにしてあげたい氣持ちが湧いてくるのは、ごく自然な感情だけれど
その氣持ちに従って起こすアクションの中には、「他人をコントロールすること」に含まれるようなこともある。

でも

「他人をコントロールしたり、他人を変えることはできない」ってのが人間世界の大原則だから、アクションを起こす前に、そのへんを意識して1度冷静に考えてみる必要がある場合もある。

そうすることで、空回りするのを避けられるかもしれません。

まぁ、人の役に立ちたいとか誰かに幸せになってもらいたくて行動することは、決してわるい行いなんかではないので、あまり重く考えなくてよいとも思いますけども〜

愛する人を救いたければ救えばいいじゃないか☆

だって

やっぱり僕らは人間だもの(^^)

それから幸せに関して、僕ら人間に唯一できることは「自分自身のことを幸せにしてあげること」です。

これは結果的に、まわりの人達の幸せにも繋がっていきます。

ということは

みんながみんな「自分の幸せ」にフォーカスすることができれば、世界はどんどん平穏になっていくんだろうなぁ。。*

はい、以上〜
他人が幸せを感じられるために僕にできることについて、でした!

生きかたをシンプルにする程に、暮らしは どんどん豊かになっていく。

最後までお読みくださり ありがとうございました(^^)
今日が皆さんにとって よき日となりますように*