ダメ人間はいない|自分を否定する気持ちとの付き合いかた

ふんわり生きていこ*

僕自身、自分のことを究極のダメ人間だと思って、(マジで)死んだ魚のような目をしながら生活していたことがあるんですけども、今は自分を否定したり責めたりすることがかなり減りました。
(病んでいた当時と比べると、ほとんどないに等しい)

なので、今の僕が「自分自身を否定してしまう氣持ち」と どんな風に付き合っているのかを、ブログでシェアしてみることにしました〜

心のモヤモヤを解消していくヒントになれば嬉しいです*

てことで、今回は!

特別な技術も持たない僕が しかも無資格無職で、堂々とヘラヘラ生きていられる理由について〜

大した能力を持たずに生まれてきたことの、いったい何がいけないのでしょう?

劣等感の根源

「なぜ自分自身をダメ人間だと思ってしまうのか」まずは そこから考えていきましょう。

自分がダメかどうかを判断するには、その比較となる対象が絶対に必要となります。

「他人」や「理想の自分」と比較したり、「他人からの評価」を意識しない限り自分がダメであるかとか、その逆に優秀であるかなんてことは判断しようがないからです。
(自分で基準をつくらない限り判断できない)

でもね

競争社会の制約|苦しくなるほど頑張っている人に知ってもらいたいこと」の記事でもお話ししたのですが、
持って生まれた能力は人それぞれ異なるわけですし、故に他人を自分の比較対象とすることはできないんですよね。

姿かたちが似ているので「人間」という一括りにされていますが、人は1人1人「ちがう生物」なんです。

比較対象にならないということは、自分がダメかどうかなんてのも判断することができなくなります。

人間に優劣なんてありません。

「僕にとっての」あなた

これは ただの例でしかないんですけども。。。

まさに今この記事を読んでくださっている「あなたにとっての、自分のダメなところや弱いところ」を、僕は一切知りません。

だから僕からすれば、あなたはダメ人間なんかじゃないんですよね。
(この言葉の意図、伝わってるかなぁ?)

それに、もし仮に それをあなたが僕に教えてくださったとしても、僕はダメだと思わないどころか、むしろ(僕と比べたら)スゴイ人に思えてしまうかもしれません。

そう思ったらさ、何がダメで何が優れているのかなんて、もう わからなくなっちゃいませんか(^^)?

自分のままで生きるには

さて、「自分がダメ人間かどうかを判断する基準なんて、そもそもないんじゃない?」みたいなお話をしてみたものの、いくら僕にそんなことを言われたところで劣等感によるツライ思いは、そう簡単には消えていかないですよね・・・

でね

あくまで、こんな風に考えてみたら僕は氣持ちが楽になりましたよ〜 という私的な感想にはなりますが。。。

自分に弱い部分があったとしても、それを責める必要なんてないので、「自分は そういう人間なんだ」とただ認識してあげるだけでいいんじゃないかな〜って僕は思うんですよね。

だってさ、自分を責めたところで自分の何かが変わるわけじゃありませんし、
そもそも他人(少なくとも僕)は あなたのことを弱い人間だとか、ダメ人間だなんて思っていないんですもん。

ゲストハウスの外国人旅人友達の写真

・・・とは言え、ありのままの自分というのは、なかなか受け入れにくいものだったりもしますよねぇ。

そんな時は、勉強したり練習したりして少しずつ弱い部分を成長させていこう☆とか、別のいいところを伸ばしてカバーしていこう☆みたいに明るい氣持ちで捉えて、マイペースで進んでいけば それで充分なのではないでしょうか(^^)

自分の弱い部分を無視もしないし、でも かまいもしない。。☆

それから、あなたは「僕から見ればステキに思えること」を、たくさん持っているはずですよ*

「逃げまくりな人生」は最幸説↓
嫌なことからすぐ逃げる僕の人生は楽しいことしかない

補足:人は「トータル」

自分のことを好きになれないのは「自分自身の嫌いな部分」ばかりを見てしまい、自分という人間の全体像が見えなくなっていることが原因の1つなんじゃないかなと思います。

自分の嫌いな部分というのは、自分からしてみれば特に目立って見えたり、自分という人間の大部分を占めているように感じるものだということは、すぅ〜ごくよくわかります。
(僕も そうだからね(笑))

で、それに対して敏感になっているもんだから、「またやっちゃった」と その部分が頻繁に表に出てしまっているように感じてしまいます。

でも、実際には自分が思っているほど頻発していなかったり、意外と まわりの人は感じたり氣づいたりしていなかったりするものなんですよね。

その理由は、まわりの人は「自分という人間の全体像」を見ているからです。

相手が どんな人間に見えるのか、その人物像(他人からの自分の見え方)は「トータル:Total」で決まるわけです。

だからね、そこまでストイックに自分自身を指摘せずにね、もう少しリラックスしてもいいと僕は思いますよ*

・・・そう僕自身に言い聞かせたい(笑)

萌木の村 ROCKの入り口にあったハロウィン飾りの写真

・ぷち補足

自分の嫌いな部分に他人が氣がつかない、もう1つの理由は「自分が思っているほど、他人は自分のことに関心がないから」です。

たとえば僕と一緒にいない時なんかは、ほとんどの人が僕のことを思い出すことさえありません。

みんなね、自分の人生を生きることに精一杯で、僕(他人)のことを思い出しているほどヒマじゃないんですよね*

余談:ダメ人間がいない世界

自分で、自分自身をダメ人間だと思っているのであれば、まわりの人がなんと思っていようと その人がダメ人間であることは真実となります。

だって たとえばね、いくら その人のことをステキだと僕が思ったところで、その人みたいになりたいと皆が憧れたところで、本人が自分のことをダメ人間だと思っているのなら、その事実が変わることはありませんでしょう?

カナダのシドニーの町並みの写真

逆に言えば。。。

もしも、自分で自分のことをダメ人間だと思っている人が1人もいなくなったとしたら、この世界にダメ人間なんて1人も存在しなくなります。

この世界のすべては「(あなたが)そう思ったら、そう」いうことになるんです。
この世界はすべて、自分の思った通りにしかならないんです。

まとめ

「他人」や「理想の自分」と比較したり、「他人からの評価」を意識しない限り自分がダメであるかとか、その逆に優秀であるかなんてことは判断することができない。

けれど、人が持って生まれた能力等は それぞれ異なるので、故に他人は自分の比較対象にはならない。

もう1つ加えて言えば、どれくらいのことができれば その人の能力が高い(もしくは低い)と判断されるのか、その基準は見る人それぞれで異なるので、人間の優劣を決めることなんてできない。

つまり

自分で自分自身のことをダメ人間だと思わない限りダメ人間なんていませんし、そもそもそんな判断基準は ただの自分の思い込みであって、本当は存在していません。

だから もしも自分の能力等が低いと感じたとしても、そのことを責める必要もありません*

くり返しになりますが、本人が自分の能力が低いと思っていても、他人から見たら素晴らしい存在に見えるかもしれないからです☆

いくら僕が そう言ったところで、劣等感によるツライ思いは そう簡単には消えていかないとは思いますので、
そんな時は勉強したり練習したりして少しずつ弱い部分を成長させながら、明るい氣持ちで進んでいけば それで充分だと僕は思います(^^)

ゆっくりマイペースで生きていきましょ〜

はい、以上〜
何の取り柄もない僕が堂々とヘラヘラ生きていられる理由について、でした!

最後までお読みくださり ありがとうございました☆
今日が皆さんにとって よき日となりますように*