努力する事がいかに無駄かを徹底的に解説します|人生は無意味

今回は「努力することも含めて、物事の価値や意味が どのように決められていくのか」を解説いたします〜

努力することも、人生も、無意味。

それが「この世の摂理/世界の原理原則」であって、
これを理解すると、そこから先の人生は、ただひたすらに「自分のやりたいことをこなすだけの自由時間」になります。

価値が決まる瞬間

人はそれぞれ、大切にしているもの、手に入れたいもの、行ってみたい場所、他人に自慢できる得意なことなど、たくさんの価値あるものや憧れるものを持っています。

努力に価値を与え、努力を続けることを大切にしている人もいらっしゃいますよね*

ところで

それらが価値あるものに思えて大切にしたい、手に入れたい、できるようになりたいと思うようになったのは
それらに「自分が価値や意味を与えた、その後から」ですよね?

じゃあ世の中の すべての物事の中から1つでもいいので、自分が価値や意味を与える「前から」
つまり、それが存在した瞬間から価値や意味を持っているものを見つけることはできますでしょうか?

・・・見つかるはずがないですよね〜

たとえ人の命であっても、だれかが価値があると思わない限り、それが価値を持つことはないからです。

御嶽山の山小屋・ニノ池山荘からの景色(ご来光3)の写真

もっと言えば、自分にとって価値がある物事でも、他人の世界では無価値になってしまうこともありますし、その逆だってあるわけです。

僕が大切にしているものを、海で暮らすイルカ達が大切にしているわけないっすよね(笑)

てことは

自分が価値や意味を与えた物事だけが、「自分だけの世界で」価値や意味を持ちはじめる

ということになります。

(ある物事が価値や意味を持っているような「気がする」のは、本人の「ただの思い込み」だということでもある)

人生に意味がないからこそ

物事の価値について、もう少しイメージを明確にしていきましょう*

たとえば

あなたが何かで世界一になりたいと望むのであれば、人より優れることに価値があります☆
でも 公園で遊びまわる子供達にとって、優れた人間になることに意味はありません★

河野ルル|メキシコで壁画制作(憩いの場所)の写真

あなたが まわりにいい人だと思われたいのであれば、善い行いに価値があります☆
でも、その行いを余計なお世話に感じたり、あるいは悪い行いだと思う人もいます★

結婚や家族円満に憧れる人もいますが、離婚して幸せになった人もいます☆★

極論・・・命を大切にして1日でも長く生きたいと願う人がいれば、自ら命をたってしまう人だっています。

こんな感じで

何に価値があり、どんな行いに どんな意味があるのかといったことは、
ある物事を見たり考えたりした際に「僕ら1人1人が、それぞれの基準で」判断しています。

言い方を変えると、人が それぞれ「個人的な」価値や意味を与えた時に はじめて、その物事も価値や意味を持ちはじめます。

そうなる理由こそが

世の中の すべての物事は、最初から最後まで なんの意味も価値もない「常に中立な存在」だから

なんです。

僕らの人生に意味なんてないんです。

子供の視点で世界を見れば、わかる

もしも、今まで あなたが個人的に物事に与えてきた価値や意味を、いったん すべて捨て去ることができたとしたら
今この瞬間に、その場所に残っているものは「心」だけになりますよね。

仮に、すべてを捨て去ったとして。。。

あなたの中心にある心から外側へ順に、内蔵、皮膚、空気、目の前にあるもの、すこし離れたところにあるもの、
それから 海、外国、空、宇宙・・・

そういったものが、あなたの周りに無限に広がっていきますが
今は まだそれらに「自分で」価値や意味を与えていないので、それらも ただ存在しているだけだし、何か出来事が起こっていても ただ起こっただけです。

自分が この世界に生まれてきた瞬間のことを覚えている人はいないと思いますが、それと同じ状態かな。

赤ちゃんの写真

自分のまわりに世界が広がっていき、そこには町があり人々が暮らし、確かに自分も そこに存在しています。
きっと どこかで災害や争いも起こっているでしょう。

でも、ただそれだけのことであって、僕らが生まれた瞬間には
世界は まだ何の意味も持たない「無」とか「ゼロ」の状態だったはずです。

それらには善いも悪いもありません。

無の世界をカラフルに*

そして、ここからは逆に

無限に存在する「無価値の」物事1つ1つに、価値や意味を「自分で」与えていく作業をしていきます。

僕の場合は。。。

まず心と体、これらがなければ何も はじまりませんから、自分が存在していることに感謝です*
(感謝するってことは、価値や意味を与えるってこと)

それから空気は生きるために必要なので、とても大きな価値を与えてみましょうか(^^)

生きるのに最低限必要な食べ物や衣服、住居もほしいですね☆
(でも豪華さや高級感は必要ありません。だって豪華さや高級感には「まだ」価値を与えていませんから。)

地球に自分1人しかいなかったら、衣食住を確保するのは困難ですし
何より僕が生まれてくることもなかったので、自分を生かしてくれる人達がいることも本当にありがたいです*

マウイ島ビーチサンセットと父と姪の写真

・・・どうですかね?

(すこし違う話になりますが)ここまでに示した物事ならば、
おそらくアルバイトのお給料、あるいは 誰かからの施しでも手に入れられる範囲にあるのではないでしょうか?

僕が何を言いたいのかと言えば、自分の環境を他人にコントロールされていない限りは

僕らが生きることに最低限必要なものの すべて」を手に入れることは、そんなに難しいことじゃないし
むしろ、すでに手に入れている人の方が多いのではないか

てこと〜

人生にスパイスを☆

いやしかし、いくら「人間が生きることに必要な すべて」が手に入ったとしても
それだけじゃあ人生が味気なさすぎるので、もう少しだけ欲を出しちゃいましょう*

趣味があれば楽しく時間をすごせるので、趣味があるとありがたいです。
(=趣味に価値を与える)

話し相手になってくれる人が1人でもいたら嬉しいかも〜

それから海や森や空、動物などの大自然!
これは必須(^^)

3マイルレストポイントの写真

これで衣食住、趣味、話し相手、自然が そろいました(自分の中で それぞれに価値や意味を与えた)ので、だいぶ日々に味わいがでてきました☆

ちなみに 物事への価値や意味付けは、僕らが まだ赤ちゃんや子供だったころにも やっていましたが
大人になった今になって行うのとは決定的に違うことがあって、その違いとは

「大人になった僕らは、当たり前な物事にも目を向けることができ、それらに感謝することもできる」

ということです*

はい、いよいよ話の核心です!

あなたが望む すべてを手に入れる方法

物事の価値が決まっていく仕組みを理解してもらうために
すべての物事を、いったん無価値(自分の中に存在しはじめた瞬間)の状態に戻して、再び価値を与える作業を衣食住、趣味、話し相手、自然まで 一緒にやってみましたが

せっかくなので、この先も あなた自身で価値や意味を与える作業を行ってみていただけませんか(^^)?

そうすればね、超ぉ〜重要なポイントが浮かびあがってくるんですよ。

それは

この世界に存在する すべての物事には

「すでに自分が持っているもの」と「まだ自分が持っていないもの」

この どちらかしかない

ということ!

で、僕も まだ完璧にコントロールできるわけじゃないんですけど、個人的に意識しているのが

「すでに持っているもの」「自分のそばに あるもの」「今の自分にできること」ばかりに価値を与え
「自分が持っていないもの」「そばに ないもの」「自分にできないこと」には価値や意味を与えないようにすることです。

すると どうなるのか。。。

僕にとって価値ある物事は すべて手に入った状態になって、
逆に 僕が持っていない物事は(僕にとって)無価値になりますので、それらを欲することがなくなります。

つまぁ〜り!!

自分の望むすべての物事(=自分を幸せにしてくれる すべての物事)が手に入り、
ほかに価値ある物事なんてないから、何かを手に入れるために今以上にお金を稼いだりとか、自分を成長させたりとか、努力する必要もなくなるんです〜☆★☆★

これが何よりも伝えたかったこと〜!

もしも、あなたが1度すべてを捨て去り、子供のころのように世界を「無」の状態で見ることができて
かつ、あなたが すでに持っている物事だけに 良い価値や良い意味をふたたび与えることができるのなら

あなたは、あなたが望む すべての物事を手に入れることができるんです。。*

世間がジャマをするけども

今の自分が持っていないものを求めたくなるような(人間の欲を刺激するような)、「需要を創りだすためのビジネスが絡んだ話」とか

お金持ちになって経済的な自由を手に入れようとか、個性を磨いて自分らしく生きろとか、人に愛を与えられる人になりなさいといったような「偉い人の教え」などが、今の世の中では飛び交っているので

それに あおられ、何か熱中できることや成し遂げたい目標を見つけたりして、
自分も がんばらなくちゃいけないような「気がしてくる」かもしれないんですけどね

僕らは、もう がんばらなくていいんです。

だって

自分が幸せになるために必要なものは、すべて持っているんだから。

御嶽山の山小屋・ニノ池山荘からの景色(高山植物オンタデと青空)の写真

・・・はい、そうなってくると もう、やることなくなっちゃうんですよね〜

この先の人生は、暇で幸せな時間に ただひたすら感謝してすごすだけ。笑

ちなみに僕が思う、究極の暇つぶし方法は
「自分が幸せを感じられる物事ばかりに、次々と価値を与えていくこと」です☆

なぜ人は不満を抱くのか

もう1つ説明しておきたいのは。。。

価値を与える対象が多くなりすぎると、辛い思いをしたり不満ができやすくなる

てこと。

たとえば

旅行することに「自分で」価値を与えれば、旅行をしたくなるので
旅行するための時間とお金を確保しなければいけなくなります。

ファッションやオシャレに価値を与えれば、
流行を追わなきゃいけなくなったり、個性を磨かなくちゃいけなくなったり、他人の目を気にしなきゃいけなくなったります。

おにぎりさん in ルミネの写真

いい学校いい会社に通うことに価値を与えると、そこに通うために
たくさん勉強しなきゃいけなかったり、経験値を積んで資格を取らなきゃいけなくなったりします。

「所有すること」に価値を与えれば、いろんな物を所有するために
スペースを確保しなくちゃいけなくなったり、掃除したり管理もしなくちゃいけなくなったりします。

こんな感じで、「現状にはない物事」に「自分で」価値を与えれば与えるほど
その価値ある物事を手に入れるため(欲を満たすため)に、やらなければいけないことも増えて、どんどん忙しくなっていきます。

お金を稼がなきゃいけないし、勉強しなきゃいけないし、世間の目まで気にしなきゃいけない。。。

自分が楽しんだり心地よく感じられる範囲で、価値を与えていくのは とてもいいことだと思いますが
それを超えて、アレも欲しい!コレも成し遂げたい!という物事が増えすぎると

今度は それらをまだ手に入れていないことに不満がでてきたり、すでに持っている人が羨ましくて妬んだりしてしまうかもしれません。

今、辛くなるほどの努力を強いられている人は、
今の自分にない物事を強く欲しているからではないですか・・・?

いったん まとめ

話を軽く整理してみましょう。

あなたが価値や意味を「与える前から」、価値や意味を持っている物事は この世界に1つも存在しない。

もしも、今まで あなたが個人的に物事に与えてきた価値や意味を、いったん すべて捨て去り、再び価値や意味を与える作業ができるとしたら

あなたが「すでに持っているもの」「自分のそばに あるもの」「今の自分にできること」ばかりに価値を与え
「自分が持っていないもの」「そばに ないもの」「自分にできないこと」には価値や意味を与えないようにすると

あなたにとって価値ある物事は すべて手に入った状態になり、
逆に あなたが持っていない物事は(あなたにとって)無価値になりますので、それらを欲することもなくなります。

つまり

あなたの望むすべての物事( = あなたを幸せにしてくれる すべての物事)が手に入り、
ほかに価値ある物事なんてないから、何かを手に入れるために今以上にお金を稼いだりとか、自分を成長させたりとか、努力する必要もなくなる。

このあとは、あなたの心は常に満たされた状態になります*

これ以上 善い人にならなくていいし、成功なんてしなくていいし、有名にもならなくていいんです。

自分が まだ持っていない物事に価値を与えて、それを欲するのも もちろんありだけど、
アレもコレも やたらに価値を与えすぎると、それらをまだ手に入れていないことに不満がでてきたり、すでに持っている人が羨ましくて妬んだりしてしまうこともあるので、それを加減・コントロールすることが大切です。

結論:心地よく生きる方法*

じゃあ、大切だとか重要であると「自分が」思った物事だけにしか、価値も意味もないのであれば
もっと がんばらなきゃいけない等の焦りや苦しさは、いったいどこからやってくるのか?

おそらく、それは「他人の言葉( ≒ 他人の価値観)」から きているのではないでしょうか。

「スポーツも勉強も仕事もできて、他人にも優しい人はステキ*」

「会社をやめたら老後まで生きていけない・・・」

本当に そうですかね?

もしも この世界に自分1人しか存在しなかったとしたら、そんなことを思うキッカケすらもなかったはずです。

でも 他人の価値観(自分が まだ持っていない物事)に引っ張られて
そこに自分を合わせようとすればするほど、努力すべき点がドンドン見つかっていきます★

がんばったり、向上心を持つことがいけないことだと言いたいわけじゃなくて

辛くなる程がんばらなきゃいけなくなるような、物事の価値や意味を抱えなくてもいいんじゃないかなぁ

ってことを僕は言いたいのです〜

自分と向き合って 自分の心の声を聞きながら、「他人基準」を1つ1つ削ぎ落としていけば、いつか必ず
無理や背伸びをせず、「今の自分」のあるがままの姿で 心地よく生きられるようになっていきます。

ネパール・ポカラでトレッキング(ロバと地元の人)の写真

ときどき「がんばることに意味がある」とおっしゃる人もいますが。。。

ただ「がんばることにだけ」価値や意味を与えて、その「程度」とか「自分が満足できる がんばり具合(?)」の設定までしてあげなければ、
どれだけ がんばっても満足できる瞬間は一生きませんので、いっぱいいっぱいになり、結局 最後には自分がパンクしてしまいます★

もしも「(他人基準に引っ張られながら)自分で決めた価値観」に従うことで、苦しい思いをしているのなら、一度それを捨てて

自分が心地よくがんばれる、あるいは がんばらなくてもよくなるような
物事の価値や意味を創りなおしてみるのもありなんじゃないでしょうか。。*

何度も言いますが

僕らの人生も含めて、世の中の すべての物事には、はじめから意味も価値もありませんから
それらは僕ら1人1人が好きなように設定することができるんです。

せっかく この世に生まれてきたんですもん
人生を心地よく すごせていけたらいいですよね(^^)

駄菓子屋さんのおばちゃんたちの写真

・ぷち補足

自分に合った価値や意味(願望)を考え、それらを物事に与えていく作業をするためにも
自分のことをよぉ〜く知ってあげることが必要になりますので、まずは自分と向き合う時間をつくっていくことから はじめてみては いかがでしょうか☆

補足1:人生の楽しさとは

苦しいこととか、辛いこととか、悲しいこととか。。。

こういった負の物事や感情も含めてこそ、「人生の楽しさ・素晴らしさ」は完成します。

だから、時には これらが必要になることもあります。

正と負のバランスをコントロールするのは、とても難しいことなんですけど、
でも 練習を積んでいくと、ある程度はコントロールできるようになるかもしれません*

補足2:実は日常的な話です

今回は仕組みを説明するために、物事1つ1つの価値や意味を与える作業をジックリと行ってみましたが、
すべての物事に対して こんなことをしていては時間がいくらあっても足りませんし、これを考えてるうちに人生が終わってしまいます(苦笑)

だから、普段は これが「ほんの一瞬のうちに」「ほぼ無意識で」頭の中で処理されています。

大事なことなので もう1度

ある物事に価値や意味を与える作業は、普段は「行われていないわけじゃなくて」
自分自身が気づけないほどの速さで、無意識のうちに「すべての物事に対して行われている」んです。

だから、あなたにとって大切なものがあり、欲しいものがあり、そして関心のない物事があるんです。

サルベーションマウンテンの写真

この世界に存在する すべての物事は、「僕らから」価値や意味を与えられるからこそ
僕ら1人1人の中で、それが どんな物事で どんな役目を果たすのかなどが決められていくんです。

(同じ物事でも、人それぞれ価値や意味が異なっていることが「僕らが個人的な価値を与えている」ということの、何よりの証拠)

補足3:物事の価値が決まる基準

「潜在意識(自分が心から望んでいること)」が、物事の価値を決める基準になっています。

たとえば 自分は幸せな人生を送っていると信じているのであれば、
自分が幸せを感じられるような価値や意味を、物事に(瞬時に)与えていきます☆

自分は不幸な人生を送らなければならないと信じているのであれば、
不幸を感じられるような価値や意味を、物事に与えていきます★

僕らは「自分の潜在意識が反映されたもの(自分が望んだもの)」しか、感じることも 見ることも 触れることもできないんです。。*

余談1:努力 と 幸せ

努力した先に幸せが待っていると思うのは間違いです。

ここまで読んでくださった方は、なんとなく察しているかもしれませんが
幸せとは、苦労の末に勝ち取るようなものではないからです。

自分のそばに、自分の心の中に すでにあるもの

それらに目を向けてあげた時に感じられるのが幸せなんです*

余談2:思い出の価値

脳の力を使いこなせるようになれば、たいていの望みは叶えられるようになる と、(経験上)僕は信じています。

そこまで辿り着けた場合は「自分がもっていない物事」にも価値を与えて、どんどん欲していいと思います。

アレコレ欲しくなっても、ちゃんと手に入れることができるので 辛い思いをすることがないからです。

ただぁ〜し!

そこまでいけても、絶対に支配できないものがございます!

それは「時間」です。

たとえばね、過去(思い出)に価値を与えると、
あの頃はよかったな〜って思うようになったりする(時間を超えた欲が生まれる)んですけど、それを手に入れるのは困難・・・というか、不可能ですよね。

ネパールの子供達の写真

なつかしむくらいならいいんですけど、
戻りたい!と無理な願望まで抱いてしまわないよう、過去に与える価値の大きさ?度合い?に お気をつけくださいませ〜

・・・ただし、潜在意識(心の底)から本気で望めば、それに似ている、あるいは それ以上に価値のある「現状」をつくることはできるとは思います。

結局、過去でも未来でも、時間に対して価値を与えているのも自分自身なわけですし
過去の素晴らしい思い出よりも、さらに大きな価値を現在・未来に「自分で」与えてしまえばいいんじゃないかなって話〜

時間を支配することはできなくても、
「それぞれの時間に与える価値」を支配することはできるんです。。*

超余談:旅して7年

御嶽山の山小屋で働いていた時のこと。

山小屋は標高3000mの、まわりには木すらも生えていない何もないところにあって
ネット電波はありませんでしたので、休憩時間には読書か散歩くらいしかすることが ありませんでした。

(逆に それが最幸の環境だったけど)

んで、その日は天気がよくて、水とチョコレートだけを持って散歩していたんです。

標高2700mまで くだっていくと 昔の噴火口に雨水が溜まってできた、それはそれは美しい湖があります。

御嶽山登山・晴天の三ノ池の写真

僕は湖のほとりに腰をおろして、太陽にきらめくコバルトブルーの湖面、
風に揺れる草花、ときどき僕の体をすり抜けていく雲を感じながら

ただひたすらに「無」と「自然」を楽しんでいました。

御嶽山登山・晴天の三ノ池ほとりの写真

それが すごく幸せに感じて

何も持っていないし、まわりにも人間が創ったものは何もないはずのに、人の心は こんなにも満たされるものなんだ〜

と 思ったんですね。

そのとき、僕の心の深ぁ〜いところから湧き上がってきた ある思いがあって、それが

「すべてを捨てると 心が満たされる」

ということでした。

世界を旅するようになって もう7年目になりますが
この世界にも 人生にも、まだまだ おもしろいことが たくさんありそうです*

あの時の感覚を動画で説明してみました↓

まとめ

あなたが価値や意味を「与える前から」、価値や意味を持っている物事は この世界に1つも存在しない。

だから

もしも自分の思い込みを捨て去ることができるのなら、
すべての物事が無意味で無価値な状態に もどっていくし、自分が望むすべてを手に入れることだってできる。

もっと がんばらなきゃいけない等の焦りや苦しさは
「他人の言葉( ≒ 他人の価値観)」から きている可能性がある。

(この「他人の言葉」には、世の中に溢れる「ビジネスが絡んだ宣伝」や「偉い人の教え」なども含まれるので注意)

がんばったり、向上心を持つことがいけないことだと言いたいわけじゃなく
辛くなる程がんばらなきゃいけなくなるような、物事の価値や意味を抱えなくてもいい、僕は そう思っている。

自分と向き合って 自分の心の声を聞きながら、「他人基準」を1つ1つ削ぎ落としていけば、いつか必ず
無理や背伸びをせず、「今の自分」のあるがままの姿で 心地よく生きられるようになるはずです(^^)

もしも「がんばること自体」に価値や意味を与えるのであれば、
その「程度」とか「自分が満足できる がんばり具合」まで設定してあげた方がよい。
(じゃないと どれだけがんばっても満足できなくなって、いつかパンクする)

メチャクチャ長くなりましたが、だいたいまとまったかな。

すべてを捨て去るなんてのは、なかなか難しいことかもしれませんが
でも「どれだけ手に入れるか」よりも「どこまで捨てられるか」が大切ってことなんですかね。

捨てれば捨てるほどに、「今 この瞬間の価値」が高まっていき
いずれは「自分が生きていること」それ自体が、なにより価値のあるものに感じられるようになるんじゃないかなぁ。

過去の思い出でも、理想の未来でもなく、今 この瞬間が。。☆

あ、そう言えば

「欲しいもの」と「幸せになるために必要なもの」は違うので、そこも意識しておくといいかもです〜

はい、以上!
手ぶらで 散歩してみたら、とても幸せな気持ちになって「あれ?自分が幸せを感じるために必要なものって、もう全部そろってるじゃん」と気づきましたよ日記でした〜

僕らの人生は1度きりです*

気楽に、心地よくすごしていけたらいいな〜(^^)

おまけ

僕は、ようやく運命を自分の望みどおりに動かせるようになってきたところですし、
実現させたいことも たくさんあるから、命のつづく限りは人生を楽しんでいこうと思っていますが。。。

自ら命を経ってしまったり、他人の命を奪ってしまう人がいるのは、
きっと「死ぬこと」に何かしらの価値や意味を与えているからなんでしょうね。

「死」も興味深いカテゴリー?では あるけど
まぁ その体験は、僕の命が最期を迎える瞬間までの お楽しみってことかな☆