日常がすこし明るくなる話
2024年1月現在、僕は35歳なのですが「辛い」とか「悲しい」みたいな心の苦しさを感じることが、以前に比べて本当に少なくなりました。
なんかもーね、ずっと幸せなんですよね、
辛い出来事も起こるんですけどね、それも含めて幸せなんですよね(笑)
そうなった理由は いくつか考えられるのですが、その中でも かなり大きな比重?を占めるものを1つ、この記事でご紹介したいと思います〜
無敵の思考法
僕がずっと幸せでいられる理由、その結論から言ってしまいますと
自分が生きている この世界では、自分の望んでいることしか起こらない
僕は そう思っているからです。
少しちがう言い方をすると
僕のまわりに広がる この世界自体が、僕を幸せにしてあげたいと願い、
「僕が幸せになるための物事」を、常に僕に与えつづけてくれている
って感じの考え方をしてるんですよね。
「世界」が意思を持った生き物だとして、それが僕を幸せにしようと あの手この手を使ってくるわけです。
・・・世界が意思を持っている?
そんなの ありえないし、なんかの宗教ですか?ってツッコミが聞こえてきそうですね。笑
まぁ騙されたと思って、もうちょっとだけお付き合いくださいな*
これから この世の真理、世界の原理原則を明かしますので☆★
辛いことは必ず起こる、けど
仮にね、
この世界のすべてが、自分(あなた)が幸せになるためのものだったとします。
目に見えて存在している物も、出来事も、ぜ〜んぶ幸せを感じるための要素*
・・・そんなこと言ったって、大切な人が亡くなったり、思わぬ事故でケガしたりして悲しさや苦しさを感じることはあるじゃないか!そんなの幸せなんかじゃない!
はい、「あなたが そう捉えて、そう思うのなら そうなんでしょう。でも逆に、あなたが その出来事の中にある、自分が幸せを感じられる要素に目を向けたなら、それは幸せな出来事になります。あなたが見ようとすること信じることが100%反映される、それがこの世の真理です。この世界は あなたが見たいものしか見せてくれません。」
みたいな身も蓋もない屁理屈を言っちゃったら、すぐに記事を閉じられてしまいそうなので、もう少し柔らかい?話をいたします。
悲しさを感じるような出来事は、もちろん僕にも起こっています。
けれど、昔の僕と明らかに違うのは辛いことの「おかげで」起こったステキなことにも、ちゃんと目を向けられるようになったことです。
たとえば。。。
独りでいるのが辛くて友達に連絡したら、一緒に出かけてくれて幸せな氣持ちにしてくれたりとか、
氣分転換に山登りをしてみたら、清々しい氣持ちになれたり、ステキな景色に感動させられたりとか。
「辛さを感じるような出来事(正確には「自分で辛いと思い込んでいるだけの出来事」)が起こっても、それは僕が幸せになるための要素なんだ」
そう思うようになったら、ただ辛くて苦しいことばかりを考えて落ち込むのではなくて、それと同時期に起こっている幸せな出来事も、ちゃんと感知できるようになっていきました。
し・か・も
「辛いことのおかげで起こる」幸せなことは、メチャクチャたくさん起こっているってことに氣づいたんですよね。
だからそれに氣づけてからの僕は、もはや辛い出来事にまで感謝できるようになりました*
僕ら人間は、辛い出来事に対して敏感になりやすく思考の大半を占めてしまいがちですが、それは実際には ほんの一瞬の出来事とか感情の揺らぎでしかなくて、人生全体の比率で見れば大したことはなかったりするわけです。
作り笑顔の効果も知っておくと色々と便利です↓
「作り笑顔は座禅と同効果|体の反応と心理作用が反則レベル(笑)」
信じた瞬間からすべてが変わるよ
さて。。。
あなたのまわりに広がる この世界自体が、あなたを幸せにしてあげたいと願い、
「あなたが幸せになるための物事」を、常に あなたに与えつづけてくれている
世界のすべてが あなたを幸せにするために在る
なんて究極論を打ち出したところで、先程も述べたように辛い、悲しい、苦しいと感じてしまう出来事は みんな平等に起こります。
それでも、この世界を信じてあげるんです。
世界とか宇宙が、自分の最強の味方であることを確信した時、
「自分の目に映るすべて」の見え方や感じ方、物事の捉え方や考え方が変わりますから。。*
やってみれば わかるけど、これ本当だからね。
・・・まぁ徒然と語りましたが、結局ね、
とある物事に直面した際に自分が何を思うか、何を自分で選択するか、それ次第って話なんですけども〜
「選択」を極める者、人生を制します↓
「人生が幸せにしかならない方法・考え方|心の仕組み」
補足:迷いがなくなる
「すべてが自分の幸せに結びつく」と思うようになった僕は、物事の選択や意思決定に迷うことが ほとんどなくなりました。
言い方を変えると「自分の選択は、常に正しい」そんな風に思えるようになったので、もう自分の氣持ちや行動を抑制するものがないんですよね。
だって、何をやっても この世界が僕を幸せにしてくれるんだもん。
そんな僕の人生は、もう自由奔放やりたい放題です(笑)
余談1:世界は ただの「電氣信号」
自分の五感で感じるすべて(自分の外側にある世界のすべて)は、「単なる情報 ≒ 脳の中を走りまわる電氣信号」でしかない
これね、辛い出来事に直面した時の、魔法のおまじないです。。☆
自分の外側で起こった出来事って、結局「ただの情報」じゃないですか?
映像、音、匂い、感触(痛み)、、、脳内を流れる電氣信号が、こういった感覚を僕らに感じさせているわけでして、
つまりさ、それってさ、どんな出来事も もとを辿れば ただの電氣信号でしかなくて、その刺激に対して僕らが「自分で勝手に」悲しいとか苦しいみたいな感情を上乗せしているだけなんですよね。
すべての物事は常に中立であって、悲しくなければ楽しいものでもありません。
中立で「何の意味も持たない物事」に対して、僕らが後から勝手に意味を付け加えているんです。
余談2:映画を楽しむだけでいい
「人生」を何かに例えるとしたら「五感で感じられる映画」って感じかなぁ?
五感の刺激を受けるから(歩いている感覚を味わえるから)、自分があちこち移動しているように感じるかもしれませんが、
自分自身はただ1点の同じ場所から動いておらず、そこで ただ電氣信号を受け取りつづけているだけなんです。
僕らは生まれ落ちた はじめの1点から1ミリも動いていなくて「周りの景色の方が流れていったり、人や物、状況が絶えず自分の周りを通過していったりしてるだけ」みたいな〜
それで僕が何を言いたいのかといえば
僕ら人間は、人生という「五感で味わえる映画」をただ観ているだけだから、辛い苦しいと落ち込みすぎる必要は特にない、落ち込むことに意味はない
てこと。
だってさ、主人公が自分ソックリだし五感の刺激もあるから感情移入しやすくなっているけどさ、映画は所詮映画でしかないじゃん?
酷な内容の映画を観たとして、それを半年も1年も引きずって落ち込んでたら無駄以外のなんでもないじゃないですか。
自分の周りに広がるこの世界は、自分の目に映っているこの世界は ただの電氣信号、ただの幻なのだから*
僕らが幻の中で生きているという根拠↓
「思考と視界の関係|なぜ知識を増やすだけで生活が豊かになるのか」
まとめ
自分のまわりに広がる この世界自体が、自分を幸せにしてあげたいと願い、
「自分が幸せになるための物事」を、常に自分に与えつづけてくれている
そう思うようになってから、僕は辛いと感じることが少なくなった。
もちろん辛さを感じるような出来事がゼロになったわけじゃないけれど、そんな辛い時期にも幸せを感じられる出来事は相変わらず起こっていて、そこにもちゃんと目を向けられるようになったからです。
もっと言えば「辛いことがキッカケで起こった」ステキなことも、ちゃんと味わうことができるようになったんですよね。
僕ら人間は、辛い出来事に対して敏感になりやすく思考の大半を占めてしまいがちですが、人生全体の比率で見れば それは意外と大したことじゃなかったりするわけです。
それから
世界のすべてが 自分を幸せにするために在る
そう信じられるようになった今の僕は、もう物事の選択や意思決定に迷うことが ほとんどありません。
「自分の選択は常に正しい」と確信しているので、自分の氣持ちや行動を抑制するものがなくなったからです。
それでも辛い出来事に直面することはあるので、そんな時に自分に言い聞かせてあげる魔法のおまじないは
自分の五感で感じるすべて(自分の外側にある世界のすべて)は、「単なる情報 ≒ 脳の中を走りまわる電氣信号」でしかない
ってやつ。
人生なんて ただの「映画」でしかないんだから、おもしろおかしく、楽しく心地よく味わっていきたいですね☆
はい、以上〜
僕が辛さを感じにくくなった理由について、でした!
最後までお読みくださり ありがとうございました(^^)
今日が皆さんにとって よき日となりますように*