無価値なお金を僕は愛す
「お金なんて無価値」そう言い続けてきたのに、なぜ僕がお金を愛するのか
そういった僕の中でのお金に関する概念?的な部分について、今回はお話したいと思います〜
お金を必死に追いかけても なかなか手に入らない、
かと思いきや、スマホの画面タッチ1つで数百万、ときには数千万円が湧き出ることもある。
だって
お金は ただの幻だもの。
理解を深めてみたら、お金は追いかけるものではなく、
お金の方から自分のもとへやってくる、そんな感覚になってきました。
お金とは。
では まず、僕にとってお金とは どんなものなのかを説明してみます〜
1、他人を幸せにしてあげるためのツール
2、この世界に本当は存在していない「ただの数字」である
この考え方があるからこそ、僕は お金社会の中でも心地よく暮らすことができてるのかも*
人を幸せにするツール*
2021年現在では まだまだお金社会は根強く、お金があればできることが たくさんあります。
お金自体が人を幸せにしてくれるなんてことは ありえませんが
「お金を使ってできること」が、人が幸せを感じる「キッカケ」になることはある と、僕は思っているんですよね。
だから
(この世界でお金が価値を持っているうちは)お金を使って
より多くの人が幸せを感じられるようなキッカケを、たぁ〜くさん作っていきたくて
だからのだから
僕は億万長者になることにしたんです。
(お金を稼ぐ理由は他にもあるけど)
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余談:お金を払う意味
お金を使えば何かをできるのは「お金を必要としている(欲している)人が たくさんいること」が絶対条件です。
言い方を変えると、お金で何かをするには「お金をもらえば何かをしてくれる人」がいることが必須。
たとえば お金を欲している人にお金を渡すと、そのお礼に料理を作ってくれたりサービスを提供してくれたり、あるいは自分の代わりに働いてくれたりもしますよね。
じゃあ相手がお金を欲していなければ、どうなるでしょうか?
お金を渡しても それに価値も意味もないので、当然 自分のために料理を作ってくれる人なんていなくなりますし、自分の代わりに働いてくれる人もいなくなります。
(たとえば 僕が道端に落ちている石ころをあなたに渡しても、僕の代わりに働いてくれるわけがありませんよね?笑)
そういった意識の人達が暮らす世界では、お金でできることは何もなくて 役に立ちませんから、お金を稼ぐ意味もありません。
だから
お金に価値があると思っている人がいる限り、お金を使えば他人を幸せにすることができるんです。
お金 は 幻
僕の中にあるお金の概念で、もう1つ重要なのは
お金とは、みんなのお財布と銀行口座や証券口座の中で 増えたり減ったりしている「ただの数字」であって、
お金自体には何の価値もないし、そもそも この世界に存在すらしていない「幻」である
ということ。
幻なので、手に入れるのには苦労しますし
逆に、何もないところからポン!と簡単に生みだすこともできます。
人によって、その価値や「手に入れるために要する苦労の度合い」に違いがある理由は、
本人の思考や心が そのままお金に反映されていたり、お金とは本人のイメージが そのまま現実に現れたものだからかな〜
そう考えれば、たとえ現在が お金社会であっても、
お金が価値を持たなくなってしまう場面が多々あることにも納得できます☆★
また、このお金という数字の幻は「全世界共通の法則」に従って、ひたすら増えたり減ったりをくり返しているだけなので
その法則さえ理解してしまえば、お金社会で豊かに暮らすのは そんなに難しいことではありません。
もちろん法則の中には、「手に入れかた」と「使いかた」の2つも含まれております*
そういうわけで、僕にとってのお金とは
「本当は存在していない無価値なものではあるが、他人を幸せにすることができるツールでもある」
て感じです。
全世界共通のお金の法則について解説した記事もありますので、興味がありましたら〜↓
「お金を払う人の心理|知らない人が損をし続ける社会の仕組み」
お金が僕のもとにやってくる
つづきまして 僕がお金を愛している理由と、僕がお金に困らない理由について〜
お金の気持ち*
「この世の すべての物には魂が宿っている」というのを耳にしたことがあります。
それが本当の話なのか確かめることはできないのですが。。。
「もしも、自分が お金だったとしたら?」
これについて ちょっとだけ考えてみます。
粗末に扱われたり、人を傷つけたりするために使われるのは もちろん嫌ですよね★
やっぱり自分(お金)のことを大切にしてくれたり、
愛のある使い方をしてくれる人のもとへ行きたいと思うはずです*
でね、世界を見渡してみても
「大きな幸せや愛があるところに、お金は集まりやすい」
僕には そんな風に見えるんです。
意識を変えると視界が変わる
お金が意思を持っているなんてのは信じがたいことなんですけどね
でも、お金に限った話ではなくて
「自分が大切にしてあげたものからは、自分のことも大切にしてもらえる」
こういったことなら、なんとなく感じたことがある人も いるのではないでしょうか?
僕は ありうる話なんじゃないかな〜って思います。
だから僕はお金に対しても、この人のもとへ また帰ってきたい、また この人に使ってもらいたい
そう思ってもらえるよう、「愛のある使い方」を意識するようになりました。
僕に そんな使い方ができているのかは、まだわからないんですけど
これを意識するようになってからは、お金の流れが見えるようになってきたり、お金を手に入れる方法も少しずつわかってきたように感じます。
(どう考えても愛や幸せが、お金と密接に関係しているように思えて仕方ない)
だから
この先も僕は お金に困ることはないんじゃないかな〜
お金を大切にし 愛のある使い方ができる人のもとへは、お金さん達が自然に集まってきてくれるから。。*
・・・と、何の根拠もない安心感を持って生きてます(笑)(笑)
お金を愛している人は お金から愛される
愛のある使い方をすれば 人を幸せにすることができる
お金は愛を込めて大切にしてあげましょう(^^)
・ぷち補足
愛のある使い方について軽く〜
とある場面でお金を払ったり、この相手にお金を渡せば より多くの幸せが生まれるかもしれない
そう思ったときに、なるべくお金を使っていったらいいのかなと僕は思っています。
もっとシンプルに言うと「まわりの人や動物、植物など、他者のためになるような使い方」かな〜
とは言え、全部が全部そんなことを考えていたら疲れちゃうので、
まぁなんとな〜く、時々そんな意識を持ってお金を使ってみよっかな〜 くらいなノリでいいんじゃないですかね(^^)
てことで
まずは お金に興味関心を持ち、真面目に向き合ってあげることから。。*
・ぷち余談
お金は無価値だとか存在していないと言ったかと思いきや、愛しているから自分のもとにやってくると言ったり
なんだか矛盾してるし、意味もわからないかもしれないのですが
こんな考え方をしていたら、お金社会でもお金に困ることなく 心地よく暮らせるようになってきましたよ〜
っていう、ただの独り言なんで軽く流してください(笑)
補足:愛 と 欲
「愛すること」と「欲すること」は、感覚が似ていて
ただ欲しているだけなのに、それを愛していると錯覚してしまうことがあるので、気をつけた方がいいかもしれません。
わかりやすい例は、異性に片思いする時のような感覚とかかな。
愛しているのか、欲しているのか。
他者への「愛」か、自分の「欲」か。。。
まとめ
僕にとってお金とは、本当は存在していない無価値なものではあるが、他人を幸せにすることができるツールでもある。
お金自体が人を幸せにしてくれるなんてことは ありえないが
「お金を使ってできること」が、人が幸せを感じる「キッカケ」になることはある。
ただし、お金で何かをするには「お金をもらえば何かをしてくれる人(お金を欲している人)」がいることが絶対条件。
また お金とは、みんなのお財布と銀行・証券口座の中で 増えたり減ったりしている「ただの数字」であって、それ自体には何の価値もないと思う。
人によって、その価値や「手に入れるために要する苦労の度合い」に違いがある理由は、
本人の思考や心が そのままお金に反映されていたり、お金とは本人のイメージが そのまま現実に現れたもの(幻)だから。
お金を手に入れるのに苦労する人もいるし、逆に 何もないところからポン!と生みだせる人もいるってところが、
僕が「お金とは、本人の心が反映された幻のような存在である」と考える理由の1つ。
それから、「もしも、自分が お金だったとしたら」
やっぱり自分(お金)のことを大切にしてくれたり、愛のある使い方をしてくれる人のもとへ行きたいと思いますよね*
世界を見渡してみても大きな幸せや愛があるところに、お金は集まりやすい傾向があるように見えるし。
まぁ単純に「自分が大切にしてあげたものからは、自分のことも大切にしてもらえる」っていうお話です(^^)
愛のある使い方とは「まわりの人や動物、植物など、他者のためになるような使い方」のこと。
こういったことを意識するようになってからは、お金の流れが見えるようになってきたり、お金を手に入れる方法も僕なりに少しずつ理解できてきた。
「愛すること」と「欲すること」は、感覚が似ていて
ただ欲しているだけなのに、それを愛していると錯覚してしまうことがあるので、そこは注意が必要。
はい、以上!
僕はお金は ただの幻だと思う理由とお金を愛している理由でした〜
最後までお読みくださり ありがとうございました(^^)
今日が皆さんにとって よき日となりますように*